代官山の“今昔”を巡る、大人の歴史散歩

古代から現代へ。美しい時代を紡ぎ、変遷を辿る、代官山ストーリー。

最先端のショップに人々が集まり、最新トレンドを発信するモダンな街というイメージが強い代官山ですが、その土地には長い歴史があります。上村坂(※1)など数々の有名な坂がある代官山周辺は、渋谷が海の底だったとされる縄文時代から、陸地だったと伝えられています。かつての代官山は、“江戸名所図会”などにも描かれていたように、目黒川付近の坂上からの眺めがよく、富士山を見るのに絶好の場所であり、行楽の地としても栄えていたそうです。その地勢のよさから、江戸時代には、地方の藩士がこぞって代官山界隈に屋敷を建てるようになりました。現在の代官山・蔦屋書店がある場所も、水戸徳川家の屋敷跡地とされています。さらに戦後になると、諸外国の大使館が屋敷を取得するようになり、代官山はインターナショナルな雰囲気のある街並みへと変貌を遂げます。明治期には、邸宅地としての地位が高まり、政治家はもとより、外交官や財界人、文化人らが居を構えるようになりました。その一人である外交官の内田定槌が1910(明治43)年に南平台に建てた洋館は、さまざまな借主を経た後、現在は重要文化財として、横浜の山手イタリア山庭園に移築保存されています。1940年代には、後に首相を務める岸信介氏が移り住み、1960年代には、やはり後に首相となる三木武夫氏が住まいを構えました。現在、三木邸は、「三木武夫記念館」として公開されています。時代を継承し、いくつもの遍歴を経て、新旧が融合する最先端の街・代官山は生まれました。

01.代官山界隈イメージ 02.代官山T-SITE 03.代官山界隈イメージ 04.三木邸

街の探訪記イメージ01

古代から現代へ。美しい時代を紡ぎ、変遷を辿る、代官山ストーリー。

街の探訪記イメージ01

01.旧山手通り 02.代官山界隈イメージ 03.04.猿楽塚

旧山手通りへ向かう路地には、流行に敏感な人々が集うブランドショップが軒を連ねています。お洒落な街・代官山を象徴するヒルサイドテラスの奥にひっそり佇んでいるのが、周辺住民の散策スポットとしても人気のある「猿楽神社(※3)」です。緩やかな坂を登ると、そこには生い茂った木々の中に鳥居があり、都会とは思えない神秘的な空気が流れています。この神社の築山は6〜7世紀の古墳時代の円墳で、死者を埋葬した墳墓の一種。ここに円墳が二つあり、そのうち高さ5mほどの大型の円墳を昔から猿楽塚と呼んできました。そして、この猿楽塚が、“猿楽”という町名の由来になったといわれています。早くから開発が行われたエリアでこのような古墳が残っていることは、非常に珍しいそうです。さらに、知る人ぞ知る歴史的な遺跡があるのは、猿楽小学校裏にある猿楽古代住居跡公園です。昭和52年、この地の調査を依頼された国学院大学のメンバーが、土器の破片や住居跡を発掘。土器の模様を検証し、これらは今から約二千年前の弥生時代のものだということが判明しました。一時は古代住居を復元していたのですが、その後、消失してしまったため、今では跡の穴だけが保存されています。最近では、隠れたパワースポットとして注目され、訪れる人が増えています。

大正浪漫が薫る邸宅や、西郷山公園。古き良き時代に想いを馳せる。

旧山手通りから中目黒方面に向かうエリアにある「旧朝倉家住宅(※2)」は、現在では触れ合うことの難しくなった伝統的な日本家屋に足を踏み入れることのできる希少なスポットです。大正時代の大地主であり、都議会議員でもあった朝倉虎治郎氏が建てた大正期の和風木造住宅で、石灯籠や手水鉢を配した美しい庭園に佇めば、しばし都会の喧騒を忘れさせてくれます。戦後、朝倉家は住宅地の中に、文化施設や商業施設を複合した西洋風の集合住宅であるヒルサイドテラスを建立。ヒルサイドテラスは、なんと完成までに35年もの月日を費やしました。朝倉家は土地の開発を性急に進めることをせず、環境の変化に徐々に適合させていくことを望みました。その結果、ヒルサイドテラスは長期にわたって快適な空間であり続け、現在の代官山の雰囲気を作り上げてきたのです。また、区民に愛されている「西郷山公園(※1)」も歴史散策の大切なスポットです。この公園は、もともとは西郷邸の一部でした。明治の初め、西郷隆盛の弟・従道が兄である隆盛のためにこの地を購入しましたが、結局、隆盛が西南戦争に敗れ、自刃したため、従道は自らの別邸として利用することになりました。池を中心とした回遊式の庭園は、東都一の名園と謳われたそうです。公園は高台にあるため、目黒区の街並みが一望でき、身近な夜景スポットとしても人気があります。

01.02.旧朝倉家住宅  03.04.西郷山公園

街の探訪記イメージ01

同潤会アパートから代官山アドレスへ。悠久の時を刻み、日々進化する街。

街の探訪記イメージ01

01.代官山アドレス 02.代官山アドレス・ディセ 03.代官山アドレスオブジェ  04.代官山界隈イメージ

ヒルサイドテラスのある旧山手通り沿いはもちろん、細い路地裏にも小さな名店がオープンするなど、人気のエリアが広がり続ける代官山界隈。人々で賑わう街中でひときわ目立っているのが、遠方からもすぐに見つけられる“代官山アドレス”です。2000年に建設された36階建ての代官山アドレスは、超高層住宅と商業施設、公共施設が一体となり、プールや変電所などの施設も併設された大規模な複合施設。テレビや雑誌の取材や撮影でも多く取り扱われ、代官山の新たな人気スポットとなった代官山アドレスですが、かつてこの場所には“同潤会アパート”がありました。同潤会というのは、関東大震災の復興や、住宅密集地の衛生状態の向上を目的とした、政府による住宅供給機関のことで、現在の都市整備公団に該当します。同潤会代官山アパートは、鉄筋コンクリートを使った日本初の集合住宅で、公衆浴場や娯楽室、食堂や児童遊園などが整備され、日本初のモダンで高級な住まいは、人々の羨望の的でした。そのデザイン性は、現在の代官山アドレスの外観にも継承されています。また最近では、八幡通りを進み、橋を渡る手前のエリアが「奥代官山」と呼ばれ、お洒落なカフェやショップなどがオープンするなど、注目を集めています。

西郷山公園

渋谷方面に向かう旧山手通りの左手、閑静な住宅街の中にある西郷山公園。明治期に西郷隆盛の兄弟である西郷従道が建てた邸宅と庭園があったことが、公園名の由来となっている。台地の斜面には20メートルの落差をもつ人工の滝があり、園路や展望台が設けられていて、冬のよく晴れた日には遠くの富士山も望める。

西郷山公園
旧朝倉家住宅(重要文化財)

代官山から中目黒方面に下る斜面に静かに佇む、旧朝倉家住宅。平成16年、重要文化財に指定された歴史的建造物で、東京府議会議長や渋谷区議会議長を歴任した朝倉虎治郎氏により、大正8年に建てられた邸宅。大正ロマン漂う木造2階建ての建物内と、回遊式の日本庭園を自由に見学できる区民の憩いの場であり、春はツツジ、秋は紅葉の鑑賞も楽しめる。

旧朝倉家住宅(重要文化財)
猿楽神社

旧山手通り、代官山ヒルサイドテラス敷地内の緩やかな坂の頂上に、鳥居と小山がある。この小山は、古墳時代末期(6〜7世紀)の豪族らの死者を埋葬した円墳(猿楽塚)で、猿楽町という町名の由来といわれている。大正時代、この塚に建立された神社が猿楽神社である。

旧朝倉家住宅(重要文化財)